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Credo, quia impossible est

ありえないもののために
出来事は出来する。 それは〈わたし〉に出来る。 そして物語が出来上がる。
それは〈美しい現実〉という物語である。 (三重人格複合体NoVALIS666






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[文芸珍評]
『バカの壁』を読んでバカを分かったつもりになっている全てのバカたちへ(author: 赤ちゃん )
 さて、形而上学とは、莫迦に関する学問の
 真に権威ある不朽の名作、古典的名著である
 「頭脳の病気に関する試論」を著し、
 不可思議にも救世主イマヌエルの名を冠することに
 おいても名高い、かの人格高潔な哲学者カントが
 その主著『純粋理性批判』第一版序言において、
 昏迷と矛盾の中に人間理性が堕落した暗黒時代に、
 その迷妄の闇を晴らそうとする理性が
 その本性から避けがたく運ばれてゆく
 「思想の終わりなき闘争の戦場」と定められた場所である。
 この戦争の戦火は古来絶えたことはなかった。
 人間理性の「無際限な迷妄の終局にしてその正しい限界
 (infiniti erroris finis et terminus legitimus)」は、
 カントがこの名著のエピグラムに掲げている
 ヴェルラムのベーコンの言葉にも拘わらず、
 いかなる「学問革新(Instauratio)」によっても
 明かされたことはなかったし、
 また逆に啓蒙を看板に掲げるその「学問(Wissenschaft)」それ自体が
 自らの明晰判明な自己意識の根底に横たわる
 己れの身の程を知らぬ無知によって、
 デルフォイの厳格な格言
 「汝自身を知れ(グノーシ・ソートン)」の訓戒を
 裏切り続けた報いとして、
 常に自ら掘った墓穴である
 オムファロスならぬオウムファルス(AUM-false オウムの笑劇)の
 大間違いの真理教の蒙昧神秘主義に陥って、
 意味不明馬耳東風の空念仏を唱え続けること以外に何もなしえない
 自己盲目のみにくい教えの偽メシヤとして
 食えない飯を飢えた餓鬼どもに売り続ける
 「迷妄」以外の何も生産しなかったからである。

 つまり「学問」こそがその「無際限な迷妄」そのものであり、
 自ら啓蒙の偽メシアとなって人民を誑すために
 「昏迷と矛盾」を常に必要とするものだったからである。

 もし世界が「賢者」(sophist)だらけになってしまったらどうなるか。
 答えは簡単だ。「先生」は商売上がったりなのである。

 従って、教育システムというものはその自己維持のために、
 常に教育する必要のある
 莫迦な人間を作り出してゆく必要があるのである。
 従って、教育学の初歩は「人を莫迦にすること」、これにある。
 つまり相手の人格を侮蔑と冷笑の与える屈辱感によって
 破壊することこそが教育の基礎である。

 これは小学校・軍隊・会社の社員研修などで
 横行しているじつにみにくい野蛮な風景である。
 近年それは既に目に余るところまできている。
 
 今日ではマスメディアがそれを大々的にやってくれるものだから、
 人間は益々教育熱心・勉強熱心の愚劣な経済動物に退化して、
 心を持たない「法人」と称する化物ばかりがでかい面をしてのさばり返り、
 金で買った「人格」を振り回して醜悪な自己宣伝に余念がない。

 個人の人格の尊厳だの生命の優美だのは
 市民社会という言葉同様に死語になってしまった。
 かくして自由主義だの民主主義だのの名の元に
 共産主義よりも共産主義的な万人平等の奴隷制が確立している。
 
 このような社会では当然ながら差別論が流行する。

 差別論は虚妄のそのまた虚妄から生まれた最も下らない言語ゲームである。
 万人平等の奴隷制度によって卑しめられている虫けらどもは、
 どこかに人間がいて欲しいので自分よりも恵まれた人間を空想する。
 それ故に平等な社会のなかに
 不平等な身分制階級社会が空想的に要請される。

 それは憎悪の対象なのではなくて憧憬の対象であり、当然幻影である。
 その幻影が実在するかのように思い込みたい連中が、
 差別というありもしない問題を捏造するのである。
 
 「差別をしてはいけない」という言葉程に愚劣なものはない。
 そうやって実は誰をどのようにして差別するべきであるのかが、
 麗々しくいけしゃあしゃあと偽善的に闇教育されているだけである。

 しかし、差別なんか不可能である。
 万人が既に意味的に無差別殺人されてしまっている白けきった世の中で、
 差別ごっこをしている方もしている方なら、
 それにつきあって、されている方もされている方なのである。

 差別を無くせという人間は莫迦だ。
 無いものを無くすことなどそれこそが不可能である。
 差別は無いからこそ必要なのである。

 しかし、差別論も差別行為も同様に愚劣であるのは
 無いものが在ると思っているところにある。

 差別をする者も無くせという者も差別を必要としているが、
 それが必要なのは差別が無いからであり、
 差別がないことがけしからんからである。

 差別の夢は不平等社会の甘い夢から覚めることが
 怖いから見る第二の夢である。
 その第二の夢の向こうに差別の無い社会という
 ユートピアが夢見られているが、
 実はそのユートピアが既に実現してしまっている
 ということこそが悪夢なのだ。

 自分が欲しくもないものを羨む人間は莫迦である。
 自分が誰かに勝っているとか負けているとかいう
 競争社会の幻想を信じている人間は莫迦である。
 巨人が勝とうが阪神が負けようが
 そういう無意味なスポーツ新聞に
 何かが書いてあると信じて
 お勉強に余念のないサラリーマンが
 莫迦なゴミを買う莫迦であるように莫迦である。

 競争は無意味で動く無意味なゲームでしかありえない。
 そんなゲームに参加して
 人生の意味を見いだしたつもりになっている人間は莫迦である。
 競争すれば競争の意味が分かると思う人間も莫迦である。

 一番になろうと二番になろうと最下位になろうとそれが何だ。
 全ての数字は虚無に等しい。
 それが現代数学及び現代経済学の一番厭味な真理である。

 どうせ最後には全員一文無しであり、
 その上、カネという名の数字のゴミを追いかけ回して
 人生を棒に振ったオオマヌケと死神に嘲笑されるだけの話である。

 他人の影を数字の影だと勘違いして追っかけ回して必死になるうちに、
 自分の人格の尊厳も生命の優美も
 一瞬も味わわぬまま死に至るのが
 経済動物の救いがたい白痴性である。
 人間になることを忘れているのである。

 経済学を盲信する人間は
 自分が何かの価値を知っている現実主義者だと思っているが、
 こういう人間の生存自体に価値も現実性も無いのである。

 価値や現実は金で買えない。
 価値や現実というのは金を払わずに他人から盗むものである。

 それを盗まれた奴は、その時点で全てを失って経済動物に落ちぶれ、
 盗まれたものは金で買い戻せると信じ込むようになる。

 しかしそうすることによって益々多くを盗まれて
 最後は一文無しの惨めな白痴として嘲られながら死ぬのである。
 経済動物は誰にも愛されないし、誰にも同情されない。
 ただ恨みと嘲りだけを買って死ぬのである。

 彼は一度として愛を知らず、
 愛でないものが愛なのだと信じて、
 全てを無意味にしてしまい、無意味の苦さの中に死ぬ。

 当然神からも仏からも悪魔からも見放され、
 誰もその死に際して相手にしてくれるものはいない。

 最後の審判で「悪党」よりも悪い判決は「莫迦」である。
 「悪党」は颯爽として地獄の責め苦を受けに行くが、
 「莫迦」は無意味のなかに置き去りにされ、
 そのときサーッと消えてゆくだけなのだ。

 最後の審判で無視されることは断罪されるよりも恐ろしいことなのである。
 あなたがもしも経済動物であるなら必ずその憂き目を見るだろう。

 自分が消されるときの「虚無」の味は
 どんな地獄の責め苦よりも苦く辛いものである。
 地獄に落ちた魂ですらも
 そんな愚かな経済動物どもの末路を思い出して嘲笑うのだ。
 「莫迦は死ななきゃ治らない」というが、
 それは「治ったときにはもう遅い」ということなのである。

 常に形而上学の根本問題は莫迦の問題である。
 莫迦の莫迦面と莫迦性ほどに形而上学的で難解な問題はない。
 莫迦という問題を莫迦にする者は必ず莫迦を見る羽目に陥る。

 莫迦という人間の根源悪の問題は、
 決して軽佻浮薄に「人を莫迦にすること」によっては解決しない
 最も真面目で重大な問題である。

 人が何故莫迦になるのかは、
 文字通りの意味において莫迦にされることによって、
 莫迦というものにされてしまうからであることは明確である。
| 文芸珍評 | 04:11 | 赤ちゃん | comments(0) | trackbacks(0) |
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