文子、まもなく、君が亡くなってから20年目の闇が来る。
だから、もう逃げるまい。僕は君を見据えようと思う。
今日は11月17日、僕たちの出会いの記念日だ。
その夜、君は僕たちの出会いを占じて魔法の札を開いて見せた。
スプレッドも最終結果も覚えてはいない。
ただ、覚えているのは君の開いた二つの札と
最後に告げた厳かな言葉だけ。
最初の札は〈女教皇〉。そして君は言った、「これはあなた」。
次なる札は不吉な〈死神〉。だが、君は眉も動かさず、淡々と静かに告げた、「これはわたし」。
それから暫く君は黙り、ややあって、何かを心に決めたように、厳粛な語調で言った、この出会いは、〈運命〉の出会いである、と。
文子、確かにそれは〈運命の出会い〉だった。
しかし、それはむしろ僕にとって〈運命〉との出会いであった。それは君が単に僕の〈運命の女/femme fatale〉であったからではない。君はまさしく〈運命〉という女に他ならなかったのだ。
だが、〈運命〉とは何か? 僕には未だにそれが大きな謎だ。
僕にはこの謎を解くことが出来ない。出来ないからこそそれは、永遠に僕を呪縛する問題となる。この問題は僕に憑く。
文子、君は魔女であり、占い師であった。
占い師とはフォーチュン・テラー、すなわち、fortuneとしての未来の出来事を希望の指針として告げるもの。そしてまた君は僕にTAROTの手ほどきをするときに、確かにそう教えてくれた。フォーチュン・テラーは決して不吉な占いをしてはならない、占い師は幸せを導くために、人の心に魔法めいた暗示をかける、聖なる嘘つきでなければならないと、教えてくれたのは君だった。
だが、君がことさらに重みを籠め、心の底から、何か断固たる決意の気迫を籠め、厳粛な語調で〈運命〉と言う時、それはfortuneという意味で言っているのでは決してなかった。君は、fortuneなどでは絶対にありえないようなものとしての、厳格で重苦しい、Destinyとしての〈運命〉について語っていた。そこに、どうとでもなる偶然の好きにしていいチャンスの遊ぶ余地などまるでない。絶対的で変更不能、避けることも逃れる場所も与えない残酷な決定性、まるで神の恐るべき審判に触れるような厳しさで、君は〈運命〉と言った。〈運命〉は君の口癖であり、君の根本思想だった。それは有無を言わさぬ圧倒的な〈定め〉を意味し、そして、それが君という人をも決定的に作り為してしまっていた。
そうだ。〈運命〉とは、まさに君自身のこと。そのことを思うと、未だに狂おしく、そして恐ろしい。僕は、君と運命的に出会ったのではない。そうではない。耐えがたいのは、僕は、〈運命〉なるもの、その恐ろしい、憑かれたような、異様な、ありうべからざるものに遭遇してしまった、ということなのだ。
それは未だに僕に苦悩を強いる。苦悩と共に、君を永遠に愛することを僕に強いる。君は、そう、まことに〈運命〉の人らしく、自らの、避けることの出来ない死を、夭折を予言して、その予言の言葉に余りも忠実に、まるで殉死するかのように、悲劇を描いて死んでいった、死んでしまった。それだのに、君の言葉は残る。君は死んでしまったのに、君を死なせた〈運命〉は消えずに残る、それは僕に残る。僕はこの〈運命〉を消すことが出来ない。
文子、君が僕を〈魔術師〉にしてしまった。僕はそれにだけはなりたくなかったのに、君が僕をそれに引き渡してしまった。それは〈運命〉なのだろうか? 〈運命〉なのだと思わねばならないのだろうか? 僕も時にはそう思ってみる。そう思ってみることでしか慰められないときも無論ある。だがそれは、苦渋と痛みに満ちたことをそれでも諦めねばならないとき。僕はこの〈運命〉を〈幸運〉、つまりfortuneに変えることはできない。だが、だからといって、この〈運命〉をそれが〈運命〉であるというだけの理由によって、穏やかに愛し、うべなうことなど決してできる相談ではない。
文子、君にどうしてもまだ問い質したいことが僕に残っている。ここにこうした言葉を書いても、君が決して答えないだろうということは百も承知だ。だが、僕はこのきちがい沙汰を全くの正気で敢えてやっている。僕はどうしてもそうせざるを得ないからだ。
これは〈運命〉なのか? 違う! 僕はこれを選ぶしかなかったのだとしても、それは残酷なこの宿命の隘路に無力に迷い、〈運命〉などという無慈悲なだけの心無き意志に操られ、翻弄されて言っているのではない。違う! これは僕の〈意志〉だ。〈意志〉がついに〈意志〉でしかなく、決まった〈定め〉のうちにあるものの如何なるものも決して、微塵たりとも変更できない絶望的なものでしかないのだとしても、僕はこの僕の〈意志〉に固執する。〈運命〉から一歩も脱することが出来なくとも、それが分かっているのだとしても、〈意志〉は〈運命〉と戦うことをやめることはできない。だから、僕は〈悲劇〉を意志しなければならない。それは〈運命Destiny〉に打ち勝つためではない。この僕自身の〈尊厳dignity〉のためにである。僕は〈運命〉に敗れるであろう、それは分かっている。だが、敗者となるより惨めなのは、〈運命〉などという暴君に魂を売り渡し、その奴隷になることだ。だから僕は〈運命〉を悟り澄まさない。僕は〈運命〉を憎悪することをやめるまい。
君に問い質したいのはこのことだ、文子。僕がどうしても、君の口からそれを確かめたかったのに、確かめることができぬまま、君は死に、そして永遠に失われてしまった。だが、それでも、僕はそれを君の口から確認しなければ気が治まらない。〈運命〉に殉じて、〈運命〉のみを成就し、そして〈運命〉だけを存在させてしまった君。だが、それが本当の君の物語などであってたまるものか。そうじゃない。そこにはどうしても〈悲劇〉がなければならない。〈運命〉への愛ではなく、〈運命〉への憎悪を、永遠の呪いの意志を、果てしの無い怒りを、この僕が継承したのでないとしたら、〈運命〉などという思想は全く無価値で無意味だ。そうじゃないか?
この〈運命〉は勿論、全く他のようではありえない。だが、それにもかかわらず、これは全く他のようであるべきだ。他のようでもありえたことを僕は証明したいのではない。そんなことをしても〈運命〉に全く復讐したことにはならない。だから僕は〈偶然〉などという誠にもっともらしいが、何の役にもたたない卑しい思想を全身全霊の嫌悪をもって拒絶する。〈偶然〉は冷酷な〈必然〉よりも実ははるかに邪悪で残酷なものでしかないからだ。この決して変らぬ〈運命〉が、それにもかかわらず、全く他のようでしかありえないものに翻る奇蹟をどうしても見てみたい。その奇蹟のなかで、〈死神〉の札を引き裂いて、君がその絶対的な死から甦る姿に出会いたい。だから、僕は君に、〈死者の復活〉を要求する。
僕が抱きしめたいのは〈運命〉なんかじゃない。僕は〈運命〉を愛したんじゃない。僕が愛したのは君であり、君という人の比類ない人格の尊厳、dignityだからだ。
文子、或る定かならぬものが、今日、東京タワーで僕を待っているものらしい。それはどうも君のことで、僕に用があるようだ。だから、今夜、あの塔に登る。願わくば、不可思議に心に生き生きと甦る君が、僕の内にその長く伏せた顔を上げ、魂の死の重い帳を払い、再び玲瓏と響く威厳ある声に甦らんことを。君の真実を、どんな形であるにせよ、この僕に、またその謎めいたものに、物語り、告げ知らせて欲しい。